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テンプレートに次のオペラを追加しました。 アッリーゴ・ボーイト 『メフィストーフェレ』 http://www31.atwiki.jp/oper/pages/303.html 「のだめカンタービレ」第21巻は、フォン・シュトレーゼマンがのだめを再び見いだすところで終わります。裏切られピアノを弾く目的を見失ったのだめをファウストに例え、彼女を導くフォン・シュトレーゼマンをメフィストになぞらえ、しかも、イタリアでファウスト物と思われるオペラのリハを見学中の千秋とカットバックさせます。物語の大きな転換点をダイナミックに、効果的に演出しています。見事です。のだめの今後が楽しみです。 この「ファウスト物と思われるオペラ」、ファウストの劫罰ではないし、グノーのファウストでもないらしい。どちらにも「時よ止まれ!汝はいかにも美しい」このリハ中の台詞は(たぶん)ないからです。 あるとき、第21巻の巻末にイタリア語訳者への謝辞があることに気づきました。それでようやく、このオペラがイタ・オペであろうと察しが付きました。となると、このリハーサル中のオペラはボーイトの「メフィストーフェレ」でしょうな。聴いたことないけど。ちなみにブゾーニの「ファウスト博士」はドイツ・オペラです。 「時よ止まれ!汝はいかにも美しい」はボーイトに確かにあります。第1幕の最後の場面でファウストはこんな風に歌います。 FAUST どこよ? いや、私もイタリア語はわかんないですけど、たぶん最後から3行目は「止まれ、汝は美しい」でしょうよ。 というわけで、イタリア語できる人、あとはよろしく! さて、「のだめカンタービレ」、日本編のほうがおもしろかった、ヨーロッパ編になってからテンションが落ちたと見る人もいるようです。私はヨーロッパ編のほうがずっと好きです。 夏目房之介先生は「ヨーロッパ編は、ゴルゴ13とか浦沢さんが一時書いていたような海外で活躍する話系(キートンとかモンスターのことですよね)なんですよ」と語っています。(BSマンガ夜話より)そして「ほんとに描きたいのはヨーロッパ編かもしれない」と。 私もこの意見に賛成です。日本編で展開される少女漫画的学園ラブコメは確かに笑えます。しかし、ヨーロッパ編の登場人物の彫りの深さに、私は強く惹かれるのです。しかも、巻が進む毎に、彼らが紡ぐ物語にある種の重みが加わってきている。すっかり少女漫画の枠を大きく踏み出しているとはいえまいか。(他に少女漫画読んだことないのにこんなこと言っていいのか?) そもそも、この漫画はほんとうに少女漫画だったのでしょうか?むしろ千秋こそが語り部であり主人公であり、この漫画は千秋の成長物語、つまり少年漫画であると定義したほうがわかりやすいくらいです。(これが男性読者が多い理由かと) 一方、主人公であるはずののだめは、汚いし変態だしそれでいて天才なので、女性読者が感情移入する余地が全くありません。また、ヒロインのだめの心象風景はいっさい描写されないのも、少女漫画としては異例でしょう。彼女の言動と行動、あるいは千秋の独白というフィルターを通してか、読者はのだめを知ることができません。 パリで初めてのサロン・リサイタルの後、夫人から勉強は楽しいかと聞かれるシーンは実に印象的です。のだめは「はい」と答えるのですが、夫人から目をそらしているのです。この漫画のファンなら「目をそらした」ことが何を意味するかはご承知でしょう。しかし、かように重要なシーンでさえ、心象を言葉で書き記すことはなかったのです。 脇役の中でも重要なRuiはもちろんのこと、ターニャや黒木クンでさえ堂々と悩みを吐露しているのに。のだめひとりが、徹底的にハードボイルドに描かれているのです。 二ノ宮女史は少女漫画はカッコ悪いと思っているそうです。(BSマンガ夜話より) 女史は日本編の成功で自由を得、日本編でせっかく育てたキャラクターたちをあっさり捨て去ってでも、ほんとうに描きたかったことを、少女漫画の制約から離れて自由に描き始めたのだと、私は思っています。そして、この物語が終わる頃には、多くの人が「のだめは私だ」と、感じるようになる気がします。 他のオペラブログを見る 他のクラシックブログを見る
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